青森から遠出して栃木へ行った。
その帰り道、ひょんなことから友人の家に立ち寄ることになった。直ぐ帰るつもりだったが、あっと言う間に相当の時間が過ぎていた。
リビングの時計を見ながら、あと30分したらお暇しようと思いつつ、それが30分刻みで遅れてゆく。
さあ、帰ろうと思いながら、居心地が良すぎてとても動きたくなくなってゆく。
そんなことが長時間続いているうちに、単にくつろぎたいだけではないことに気がついたのだ。
時計を何度も伺っていたと同時に、壁に掛けてあったおよそ40×60センチの抽象画を何気なく覗き込んでいる自分に気がついたのだ。
その途端にその絵を注視して、すぐに以前に見たことのある堀本惠美子さんの絵だと直感した。
青をベースに横へ何本もの黒っぽい直線が入り、部分的に白みがかったというか青白い空間が描かれている。
オイルパステルとアクリルとの混合技法を駆使したこの作品が僕の足を止めていたのである。
僕の頭には、バッハのヴァイオリンコンチェルトが流れ、さらにギョーム・デュファイの音楽も同時に響き渡り、この絵の更なる奥行きを感じていた。
それはこの絵が僕にとって無限に存在する恒星や惑星であり、宇宙の起源や遥か彼方が想像されたからである。
一方、この抽象画の色合いから具体的な作家の絵を具現化して見ていた。
フィリップ・ウィルソン・スティーアの『カウズの夏』やラウル・デュフィの色彩そしてベルナール・ビュフェの渚の風景が、堀本惠美子さんの抽象画と重なったのだ。
つまり、音楽と絵画が一枚の画面から無限の広がりを見せ、そこにコスモスが出来、次元を超えた空間が生まれていたのである。
そこに僕はようやく辿り着く感覚を得たのである。
堀本惠美子さんの眼力によって描かれたものには魂が宿る。
だから僕は心地良い気分になり、湧き出でるようなエネルギーを得たのだと信じている。
堀本さんはエネルギーの絵画を描き続ける。
誰のために?自分のため?いや、万人のために祈りを捧げながら今後も描き続けるのだろう。
新渡戸常憲 (音楽評論家・音楽学博士・新渡戸記念館館長)